
今私が夢中になっているのは、この彼岸花を折り紙で模すこと。
8/8の立秋過ぎてからなんだか一気に秋の風を感じて、その時私の中に小さな灯火が宿った。
「ああ、彼岸花を作りたい…」と。
それは毎年この時期になるとやってくる季節風のよう。
しかし、その風を集めることができず早3年。
今年はその風がだいぶ向こうから吹いているのを感じて、しずしずと準備を整えていた。
両面〈赤〉の折り紙が届くのを待っている間に、花びらのところはなんだか百合の花に近いなと睨んでいたので、まずはその作り方をマスター。
そしてやっと届いたと思った両面折り紙はなんと〈赤・緑〉の組み合わせ。
でもまあいいか…、とりあえずこれでやってみようと色んなサイズで百合パーツを折ってみると、意外とこの緑が効いている。
これは誤算ではなく天の計らいだったのかと思ってみたり。
生まれ落ちる一歩前のこの瞬間が私は好き。
私のイマジネーションの岸辺ではちゃんと咲いているけれど、まだ現実の此岸(こちらの世)では咲いていない。
でもきっともうすぐ…。
一人で興奮する秋の夜長。
そんな予感がしてこの写真を撮ってみた。

この時まだ雄しべはまだ色がついていなく、花びらもただ集めてみただけ。
でも大丈夫。
もう影はちゃんと彼岸花だ。
そうしてそうして、彼岸花が生まれた。
頭の中のイマジネーションはこの現実世界よりずっと広く大きい。
その無限の広がりの中から意図を持ってあるカタチをかたどっていく作業は、
水蒸気を固体に凝固させていくのに近い。
だからこの世のカタチあるものはいつか溶けて消えてゆく。
諸行無常の響きとは、限りあるものをありがたみ慈しむ、命の鼓動の音のことなのかもしれない。
お彼岸を狙ったかのように咲く彼岸花にはご先祖様が宿るともいう。
そのお彼岸の秋分の日、
私たちはこの彼岸花を髪に挿して盆踊る。
